伊勢屋の茶籠茶箱展
日時:
第1回 2025年4月26日(土)~5月11日(日)
第2回 2025年7月5日(土)~7月21日(月)
12:00~18:00
山海川
自分の好きな処でお茶を立てる
なんとも言えず楽しい
大先輩H氏の旅のお供のに
いつもお気に入りの茶籠を持参する
朝になると庭を愛でながら一服
ご相伴に預かったことがある
何かとても豊かで一日の始めが心地よい。
(平成十九年に開催した第二回茶籠茶箱展より猪鼻徳壽氏の文章を抜粋)
小さな籠に所狭しと想いを乗せた道具に心奪われ
長年にわたり蒐集した伊勢屋美術・猪鼻徳壽氏の
茶籠茶箱コレクションの展示即売会
謎の伊勢屋コレクション
もちろん、「伊勢屋さん」こと故猪鼻徳寿氏が、多くの茶籠・茶箱を収集されてきた
ことは事実である。
そしてそれが、どこからか一括で買い込んだものではなく、一点一点、
長い年月をかけて集められたものであることは、三十年を超えるお付き合いをさせていただ
いた自分がよく知っている。
そうなのだけれど、「なぜ茶籠・茶箱」というところがよく分からない。
理由らしきこととして、ずっと昔、こんな話を聞いたことはある。
「この商売で固定客
を得るためには、○○なら伊勢屋だ、みたいな得意分野を持たねばならないのだ」と。
ただ、
和楽器や香道具など、かなりマニアックな得意分野はすでにいくつかお持ちだったし、その
分野のお客様も大勢おられた。何も茶籠・茶箱まで加えなくても、と思わぬでもない。
「いやね、茶籠・茶箱なら伊勢屋、という評価が広まるとオークションの競りではすごく
有利になるのだよ、あいつはとことん来るからって相手が早々に降りてくれるから」なんて
話を聞いたこともある。
なるほどと思える理屈ではあるが、ときとして、まったく逆のこと
をおっしゃったりもする。
「伊勢屋は茶籠・茶箱となるとがぜん強気になって降りないからっ
て、みんな安心してどんどん競ってくるんだ、おかげでえらく高く買わされちゃって」と。
どうも、話はそう単純ではないらしい。
結局のところ、いろいろ言ってはおられたけれど、理由があってのことではないのではと今
にして思う。
お好きだっただけ。そして若干、ムキになってもおられたのではと。
多くの茶籠・茶箱を「セット」として見て思うのは、「すべてがいい」わけではない、と
いうことだ。
籠はいいけど中身が、とかその逆とか、おおむねいいけど茶碗だけがどうもとか、
みな単品としてはいいけど入れにくいとか取り合わせがイマイチだとか。
単なる商材なら「そんなもの」と割り切れる。だがおそらく、思い入れが強い猪鼻さん
にはそれができなかった。
少しでもよくするために、何かしたくなるのである。
だが、多く
の美術商の方が口を揃えてこう言う。「手を入れてよくする」ことは、労力的にも金銭的
にも、ほとんどの場合、割に合わない。だから、買ったものはそのまま売るのが基本だと。
ただそれば商売上のことで、道楽だと考えれば話は変わる。
よくするための出費にはよ
ほど財布の紐がゆるむし、楽しみでやっているわけだから労力など厭うはずがない。事実、
破損があれば修理してもらい、足りないものは買い、意に添わぬものは交換し、仕覆や内
張に問題があれば、修理や新調のために古裂探しから始めるという気の遠くなるような熱
意と労力を注がれてきた。
茶籠だけを入手し、そこに入れる道具はすべて後から調達して、
ということもされていたらしい。
そうなのである。
商売ではなく道楽だったのである。ただ、そうは公言しにくい。だから、
「専門分野を持てば」などと理屈を言う。人に言いながら、自分にもそう言い聞かせて
いたに違いない。
「ね、そうなんでしょ」と問いかければ、「いやぁ」と苦笑する猪鼻氏が目の前に浮かん
でくるのである。